近くの神社のイチョウが綺麗に色づいてました [神社仏閣]
いや~ 昨日の朝はハンパなく寒かったですね。 日中も天気は良かったですが気温はあまり上がらず寒かったです。 昨日は会社が定休でしたので午前中 13年間行動を共にした愛車と近く お別れするので愛車の記録写真を撮りました。何処で撮るか迷ったんですが 富士山や新幹線を絡めて撮ろうと 平塚の定番スポットで愛車の写真を撮りました。後日記事にします~。午後は女房の車のタイヤをスタッドレスに交換したり クリニックの降圧剤を貰いに行ったりとそれなりに忙しい一日でした。 そうそうTVニュースでダイヤモンド冨士撮影のニュース流れていたのでネットで場所をチェックしました。どっちにしても撮影ポイントはピンポイントなので混みそうですね。
さて今日の記事、先日 鳥サンを撮った時に イチョウが綺麗な神社があったので写真を撮っておいたので記事にしてみました。
カワセミを撮るスポットで カワセミ君現れないので
キョロキョロしてると銀杏がが綺麗な場所がありますね
対岸の山にも小さな神社の赤い屋根が見えます
この赤い社は 小町神社といって
小野小町 ゆかりの神社です
そして イチョウが鮮やかに色づいてた場所には
小野神社が鎮座してました
この小野神社をネットで調べると
小野神社の創立年代は不詳だが、社伝によると716年(霊亀2年)、行基が薬師如来像を彫って奉安したという 1194年(建久5年)8月12日、源頼朝のもとで政所別当として活躍した大江広元や弓の名手といわれた愛甲三郎季隆らが社殿を再興した。1591年(天正19年)、徳川家康が社領二石五斗を安堵し、愛甲郡の総鎮守と定められている。 |
かなり歴史のある神社でした
大きな銀杏の木が歴史を感じます
周囲は 田んぼが広がってます
「延喜式」とは、927年(延長5年)、醍醐天皇の時代に編纂され、967年(康保4年)、冷泉天皇の時代に施行された法典。藤原時平が編纂に着手したのが905年(延喜5年)であったことから「延喜式」と呼ばれている。
「延喜式」は五十巻から成り、巻一から巻十までが「神祇・祭祇」に関する規定で、巻九と巻十が「神名帳」となり、ここに登載されている神社を「延喜式内社」と呼んでいる。
「延喜式」は五十巻から成り、巻一から巻十までが「神祇・祭祇」に関する規定で、巻九と巻十が「神名帳」となり、ここに登載されている神社を「延喜式内社」と呼んでいる。
小野神社は 延喜式社相模13社の1社に数えられてるので
神奈川県でも由緒ある神社でした。
境内には山茶花も咲いてました
石鳥居の手前に
手水舎があります
神職が居ないので御朱印は頂けませんでした
現在は
地域の守護社としてお祭りされてるんでしょうね。