小田原散歩Last [散歩]
大相撲 初場所 昨日は大関、横綱とも安泰で初日黒星だった稀勢の里もまずまずの内容で白星を取って本人も一安心した事でしょう。横綱になってから 心が弱気になって負が混んでましたから昨日勝って、強い横綱で相撲を盛り上げてほしいものです。僕の贔屓の遠藤関 も2連勝で、遠藤が勝と気分良くなります(笑) それと御嶽海強いですね。人気もあるので今場所10勝以上すると大関とりも夢ではなくなるので頑張ってほしいですね。 会社から帰ると相撲が終わるまでTV桟敷に釘づけです。
さて今日の記事は 小田原散歩のLastになります。
かまぼこ通りの入り口にある
案内所のお休み処です 赤いポストがいい感じですね。
東海道沿いには古い建物が散見されます
関東大震災を潜り抜けてきた建物ですね。
薬屋さんのようです
薬屋さんの向は
外郎やさんの建物です。
関東大震災で古い建物は倒壊して お城のような建物です。
ここの資料館は 申し出ると 案内して見せて頂けますよ
外郎ゆさんの横を曲がると
小田原城のお堀に行きつきます。
以前訪れた時はハスの葉で覆われていた記憶が有りますが
今はハスの葉は見れませんね。
石垣がお堀に映り込んで綺麗でした。
お堀沿いに
報徳二宮神社があります
ここで初詣をしました
この神社の御祭神
二宮尊徳翁です
江戸時代末期の農民思想家。通称,金次郎。 14歳のとき父を,16歳のとき母を失い,田畑は酒匂 (さかわ) 川の洪水によって流失して伯父の家に寄食。苦学して一家を再興し,田畑約4町歩をもつ地主となった。文政1 (1818) 年旧主小田原藩家老服部家の家政改革を託され,その手腕を認められて小田原城主大久保忠真から模範篤農家として表彰された。さらに小田原藩領下野桜町,駿河,相模,伊豆の3国,常陸国真壁,芳賀両郡,幕府の日光神領 90ヵ村などの復興に従事。
薪を背負って歩きながら本を読んでいる二宮金次郎像です
二宮金次郎は、借金でどん底だった家や、貧しい人々の救済を勉強、努力によって回復させ成功させてきました
有名な理由は、「二宮金次郎のように勉強しまくって出世するように、全国の小学校で銅像を置いたから」でしょう しかし最近見かけなくなりましたね。
1月4日 尊徳翁の後利益にあやかろうと
善男善女で長蛇の列でした。
参拝を済ませ 御朱印を頂きました
報徳二宮神社を後にお隣の 小田原城に向かいました
戦国時代から江戸時代にかけての日本の城(平山城)で、北条氏の本拠地として有名である。江戸時代には小田原藩の藩庁があった。城跡は国の史跡に指定されている
この位置からの小田原城は綺麗です
お城に入るには
急な石段を上ります
蝋梅が咲いてました。
この写真を撮るのに レンズ交換を終えて カメラを持った時 ストラップが引っかかってカメラを地面に落としてしまいました~
ちょっとボディにキズ着きましたが 何とか写りは大丈夫みたいです。
以下の写真は落下後に撮ってます
本丸の常盤木門の扉を撮って見ました
復元ですが 当時の紋を再現してて頑丈そうです
小田原城は梅でも有名ですが
1月4日ですからまだ殆ど咲いてませんでした
2月に入ってからでしょうね。
学び橋までくると
何やら 鳥さんが飛びかえってました
海が近いので
カモメみたいです