東海道新居宿 [散歩]
先日、女房がスマホデビュ-したので 画面保護フィルムをamazonで購入、発注は(株)OVER,sというお店から翌日送られてきました。一度自分のスマホに貼り付けた経験があったので取説も良く読まずにイ-ジ-に作業をしたらどおしても1ケ所に1cmほど気泡が残ってしまいます。さこで取説を読むとどおやらホコリが着いてしまったらしいです。失敗したら一度だけ同じ物を送ってくれる旨書いた紙が入っていたので半信半疑で連絡すると翌日商品を再送したと連絡があり昨日商品が到着しました。本当に送ってきたのにビックリです。今度は手順通りに作業して綺麗に貼れました。こっちのミスなんですが無償ですからamazonのショップ評価5で助かったと評価しました。いままでショップの評価は無視してたんですが今回はお礼のつもりで高評価しました(笑)
さて今日の記事12月に行った浜名湖に記事つながりで 東海道新居宿です
浜名湖の弁天島から次の目的地に向かう途中に
新居関所の復元施設があったので立ち寄りました
国道沿いに昔の風情を再現もしくは残した
宿場の風情が出現します
なかなか風情があります
関所のそばにある旅籠紀伊国屋は、徳川御三家のひとつ紀州徳川家の御用宿だった旅籠。
昭和24年まで旅館を営んでいたそうですが、今は往時の東海道や旅籠屋の様子を伝える資料館として公開されています
昭和24年まで旅館を営んでいたそうですが、今は往時の東海道や旅籠屋の様子を伝える資料館として公開されています
関所の高札です
真新しい復元した高札が沢山掲げてあります
ここが新居関所を復元した大御門です
訪れた時は門松が掲げられ正月準備も整っていました
入場料を払って新居関所に入ります
新居関所は、正式には今切関所といって、慶長5年(1600)に設置されました。創設当初は浜名湖に近い、現在の「大元屋敷」と呼ばれる場所にありました。しかし地震や津波などの災害で移転をしられ、中屋敷を経て現在地は3度目の場所です。
江戸時代には、現存する面番所(めんばんしょ)・書院・下改勝手(したあらためかって)・足軽勝手のほか船会所(ふなかいしょ)・女改長屋・土蔵などがありました。それらを包むように西に瓦葺の大御門(おおごもん)、東に渡船場があり、対岸舞坂へは渡船によって行き来しました。面番所等は嘉永7年(1854)の大地震で大破、翌安政2年(1855)に建て替えられたもので、全国で唯一現存する関所建物で
江戸時代には、現存する面番所(めんばんしょ)・書院・下改勝手(したあらためかって)・足軽勝手のほか船会所(ふなかいしょ)・女改長屋・土蔵などがありました。それらを包むように西に瓦葺の大御門(おおごもん)、東に渡船場があり、対岸舞坂へは渡船によって行き来しました。面番所等は嘉永7年(1854)の大地震で大破、翌安政2年(1855)に建て替えられたもので、全国で唯一現存する関所建物で
新居関所の関所役人は、40人前後の規模で、交替制でした。具体的な役職は、偉い順に、番頭(ばんがしら)下改(したあらため)賄役(まかないやく)足軽(あしがる)番所勝手足軽(ばんしょかってあしがる)往還女改之女(おうかんおんなあらためのおんな)に分かれており、開け六つから暮れ六つ(今の午前6時から午後6時)迄勤務しました
遠山の金さんの世界が再現されてます