SSブログ

鎌倉比企谷妙本寺のカイドウ [神社仏閣]

昨日の月曜日、天気は曇り空でしたが
急に桜が見たくなって4~5年ぶりに鎌倉に行ってきました
今回は鎌倉で日蓮が足跡を残したお寺を廻りました
比企谷の妙本寺から名越の草庵跡と言われる松葉谷妙法寺、長興寺と廻って長谷まで歩いて光則寺、長谷寺から極楽寺まで歩いて江ノ電で鎌倉高校前で降りて踏切の江ノ電を撮って帰ってきました
いや~鎌倉高校前は韓国人の観光客ばかりでハングル語が飛び交ってました
横断歩道でポーズを取って撮影してるのは皆韓国の方ばかり、驚きました
ハウスtoハウスで23000歩オーバ-歩きました 土日が天気悪くて歩けなかったので3日分歩いちゃいました、流石にちょっと疲れました(笑)

という事で今日は 比企谷妙本寺のカイドウです  
DSC01443.jpg
  小田急、相鉄、小田急江ノ島線、江ノ電を乗り継いで鎌倉駅に9時過ぎに着きました いつのまにやら相鉄にJRが入っていて新宿直通や埼玉の方まで行けるみたいです、浦島太郎状態でした
DSC01445.jpg
   若宮大路はまだ桜が残ってました
DSC01454.jpg

歩いて10分ほどで比企谷の妙本寺門前に着きました
DSC01455.jpg
   ここも桜はまだ見ごろでしたね
DSC01457.jpg
   妙本寺の山門です ここは比企一族の館跡で日蓮宗最古の寺院です。開基は、比企能員の末子で、順徳天皇に仕えた儒学者比企大学三郎能本です。
DSC01459.jpg
   この地は比企能員一族が住む谷戸(やと)であったところから「比企(ひきが)谷(やつ)」と呼ばれています。しかし、比企一族は建仁3年(1203年)に権力保持を目論む北条一族によって滅ぼされました。その争いを「比企の乱」といいます。
DSC01460.jpg
  比企の乱の時、まだ幼少で京都にいたため生き延びたのが比企大学三郎能本でした。能本は、鎌倉の辻に立って生命がけの布教をされている日蓮聖人に出会い、「わが一族の菩提を弔って下さるのは、このお聖人しかいない!」と決心し、自分の屋敷を日蓮聖人に献上したのが妙本寺の始まりです (妙本寺HPより抜粋)
DSC01490.jpg
  法華の行者日蓮の最初のお寺がこの妙本寺になります
DSC01465.jpg
  本堂の前にはカイドウが咲いてました
DSC01467.jpg
   比企一族の菩提を弔う、開祖日蓮の銅像が立ってました
DSC01468.jpg
   時期的に桜とカイドウが一緒に咲いてます
DSC01473.jpg
  大きなカイドウの木です
DSC01469.jpg

DSC01476.jpg
   水盤にカイドウが写り込んでました
DSC01480.jpg
  カイドウの下で結婚式の前撮りをしてました
DSC01481.jpg
   苔むした石段の上に比企一族の墓石が並びます
DSC01487.jpg

DSC01488.jpg
   カイドウの花をアップにしてみました 花色は桜よりピンクが濃くて葉も花と一緒にアクセントになってます
DSC01492.jpg
   方丈の前には桜が咲いてました
この時期が一番華やかな時期で来れてよかったです
円覚寺や長谷寺などの人気スポットに比べて観光客は少なくて落ち付いて散策が出来ました
千葉で立宗して鎌倉で布教をする中、他宗を批判したり立正安国論で幕府を批判するなどして怒りをかい草庵を焼き討ちされたり佐渡に流罪になる中、キチガイ坊主と揶揄された人物がどのようにして民衆の支持を受け法華(日蓮宗)を鎌倉で確立出来たのかが興味があって、今回は名越周辺の布教を始めた地を訪れて見たくなり桜に絡めて訪れました
何か人に訴えるものを持ってないとここまで大きな組織になる事は不可能でしょうし、まして罪人の身ですからその謎が解ければなんて思ってます、何回か続きます

nice!(46)  コメント(11) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。