いや~ソネブロ参りましたね。月曜日の記事を日曜日に書いてアップしたらエラ-で消えてしまい遺構アクセスできず、 18時頃にアクセス出来たので再度書いてアップしたらまたエラ-で消えてしまいやってられませんね~ 月曜日の記事は諦めました。月曜日の朝もシステムメンテでアクセスできませんでした。ソネットによるとブログ記事のアップやアクセスが集中した為との見解、またありますよ必ず。 昨日の台風、各地で爪痕を残しました。我が家は前回の台風と同じようにバラの鉢が5~6鉢転げてました。選挙、国民の審判がくだりましたね。小池さんの人気も一気に急降下、強すぎる女は総スカンですか、女性は弱そうでしっかり者が人気なんですね。さて一夜城に移った議員さん達今度はどうする。まさか元の鞘におさまるなんてバカな事いわないでしょう。でも言い出しそうですね。ノンポリさんばかりですから(笑)


と言う事で今日の記事は 21日に我が家の菩提寺で行われた お寺のお祭り お会式 の記事です。



我が家の菩提寺は 家から 5分程離れた場所にある

日蓮宗 常栄山本照寺 というお寺です。

日蓮宗のお寺では 日蓮が亡くなった10月13日前後に 宗祖日蓮報恩のお会式が

行われます。 菩提寺本照寺のお会式は10月21日でした

数十万人の参拝者が訪れる祭りとして、日蓮が没した池上本門寺のお会式が知られている

各地から集まった信徒団体の集まり(講中)が、行列し万灯や提灯を掲げ、纏いを振り、団扇太鼓や鉦を叩き、題目を唱えながら境内や寺の近辺を練り歩きます。古来は、提灯に蝋燭を灯し、団扇太鼓を叩きながら参詣する簡素なものだった。纏を振るようになったのは、明治時代に町火消たちが参詣に訪れた事による(ウィキより抜粋)




21日は雨でしたので 稚児行列 も大変だったでしょう

僕は 写真を撮りに行かなかったので2年前の写真を雨降りらしく加工してみました




境内の本堂前には 回向柱が立てられていて 赤い布が本堂内部の日蓮上人像と

結ばれていて 柱を触れる事で日蓮上人と繋がる事ができます。

横に立ってるが本照寺の御住職です


神奈川県愛甲郡制誌によって「本照寺記」を見ると、「字、下古沢にある日蓮宗の寺で、甲斐国、巨摩郡久遠寺の末寺である。開基は、身延山久遠寺11代・行学院日朝上人であるが、旧記等皆焼失してしまったため、不明である。境内は約1万坪あって、内に7間半に6間半の本堂と 、9間半に7間半の庫裡と山門とを具え(中略)寺領としては慶安2年、徳川幕府から8石の朱印を下附せられたと記され(Hpより抜粋)てて約500年ね歴史あるお寺なんですよ




日蓮が 池上本門寺で亡くなられた時、桜の花が咲いたとの故事から

千代紙で負った桜を模した 万灯 と呼ばれる飾り物を奉納します




万灯行列の前では 纏いを振って 鐘や囃子で盛り上がりますね





この万灯 には 日蓮宗のお題目 南無妙法蓮華経 と書かれてます

この辺りに 宗教色が垣間見れます











僕が子供の頃は 各講中の万灯が沢山出て

賑やかでした。

現在は本数は少なくなりましたが 華やかで賑やかなお祭りと言う感じで

宗教色が少なくなってますね



お寺の境内には夜店が沢山出てて

子供の時はよく お祖父ちゃんからおもちゃを

買ってもらった記憶が蘇ります。


10月21日は朝から花火が鳴ってたんですが

あさから雨が降り続いてましたから

稚児行列やら万灯供養がスケジュ-ルどおりに行われたかは

定かではありませんが

このお会式が終わると

当地では寒くなって晩秋から初冬へと季節が移り進んで行きます


おまけ




台風の爪痕

10月23日朝、台風一過

バラの鉢がなぎ倒されてました