連休明けの月曜日 前日の餅つきで腕が重かったです。 昨日は息子の車を借りて出勤しましたが今日はバスと電車を使って出勤します。いつもより45分早く家を出るつもりです。久々に電車で通勤です。駅から20分位歩くのが大変ですがどうなりますかね~ そお言えは昨日 修理屋さんから修理見積もり出る前に新車の納期の連絡が来ました。年内納車が可能で 今の車を修理して代車として使用してて下取り時10万で下取りしてくれるとの条件提示でした。う~ん売る気満々ですね。 一応新車の見積もりを出してほしいと言いました。すると実車をディラ-で観て見積もりを取って比較して修理屋さんの方がメリットあったら買って下さいよと言うではないですか。 自信がないと言えない言葉ですね。修理屋さんで新車なんて考えても見ませんでしたが瓢箪から駒になればいいでがね。しっかりデ-ラ-で見積もり取って決めるつもりです。 昨日まで中古車にするか新車にするか迷ってましたが理由は納期だったので 修理屋さんの取りあえず修理して代車として乗ってて10万で下取りの言葉にコロリと新車に心は傾きました。 後はどこからお金が工面できるか...今から宝くじかってもね~ 年末ジャンボを買って買う事にしましょう。


さて今日の記事 日蓮宗本山巡り 伊東の海光山佛現寺(かいこうさん ぶつげんじ)になります




修善寺から県道12号線で 冷川峠を越えて伊東に向かいました

まだこの時 愛車フォレスタ-には何の前触れもなく 快調に峠道を登って行きます

旅先で エンジントラブルが発生しなかったのが何よりの救いでした。




伊豆急の高架の上を踊り子号が通過しました。

もうすぐ伊東です。




伊東市役所の隣に 佛現寺はありました。 市役所の駐車場に入ってしまい間違えに気づいて

お寺の駐車場に入れ直しました(笑)




境内からは伊豆の海が眼下にみえました。




駐車場が 本堂の近くだったので

境内を山門までくだって行きました




しばらく歩くと 赤い山門が現れました




日蓮上人が開いた寺で、日蓮宗霊跡本山の一つ。日蓮上人が伊東へ流されてきたとき、熱病で苦しむ領主の伊東祐光を祈祷で治した縁で3年間ここで過ごしました。この堂跡が海光山仏現寺で、  日蓮上人の命名によるものです

扁額には 海光山 と記されてます




風情のある鐘楼があります







本堂でお参りをします

弘長元年〈1261年〉宗祖日蓮は立正安国論を北条執権に建白し、40才の
とき伊東に流罪されました。
 時の地頭、伊東祐光の難病を祈祷により治し、伊東氏の鬼門除けに
建てられた小さな毘沙門堂に3年の間、雨露をしのいで暮らされ

ました。43歳で鎌倉に戻られました












この寺院には「天狗の詫び状」という巻物が保管されている。長さは1丈(約3m)、幅は1尺(約30cm)の巻物に約2900文字余りが書かれている。しかし、その文字は解読不能であり、一体何が書かれているかは判らない。ただ以下のような伝承が残されている。
 万治元年(1658年)頃、東伊豆から中伊豆に抜ける柏峠に天狗が現れ、多くの旅人が難儀していた。その話を聞いた住職の日安上人はその天狗を懲らしめようと、単身柏峠に乗り込んでいった。怪力無双と言われた上人は天狗を見つけると、いきなり3尺もの長い鼻を両手で掴むと捻り倒したのである。驚いた天狗は老松に飛び移ると、一陣の風と共に逃げ去ってしまった。そして同時に上から落ちてきたのがこの巻物であるとされる



御主題を書いて頂いてる時に本堂の内部を許可を頂き

撮らせて頂きました




御主題を頂き いつものように写真を撮ります






佛現寺を後に

海沿いを走る 国道135号線で 熱海を目指し車を走らせます







先日 ラジエタ-トラブルを起こして

手放す事になった我が愛車 フォレスタ-の雄姿です。

13年間スノボや写真撮影の足として

一緒に行動を共にしてくれました

愛着がありますが

お別れが近づいてます




コンビニのイ-トインで

天ぷらそばを食べて

熱海から 熱海峠に登って

箱根の大観山から

夕景冨士を撮る為

愛車を走らせました

後に続きます


話し変わって

今日は立冬ですね

暦の上では

早や冬ですね。

今日は最高きおん22℃くらいまで

あがりそうですから 

暖かい立冬になりそうですね