昨日13日は 迎え火で御先祖様が


道に迷わず我が家に戻れるよう、迎え火を


焚いて目印にする風習があり


我が家も 女房が仕事からもどってから


長男家族と一緒に迎え火を焚き御先祖様をお迎えしました。


今日は菩提寺の住職がお経を上げに来てくれますが


事前に手紙で 14日 10時~11時半頃に伺います


とはがきが来てます。


坊さんも檀家回りが佳境でまさに分キザミなんですね。


さて今日も神社仏閣の記事になります



富士市の実相寺から 国道1号線経由で 現在は静岡市清水区に

なっている 清水の 海長寺を訪れました


ここ清水は サッカ--の清水エスパルスと 清水に本社がある

大手物流企業の 鈴与 一色の感がある街で活気を感じました



海長寺の総門です

日蓮宗の本山にしては、こじんまりとしたお寺です


平安朝の仁寿二年(西暦八五二)有渡山八ツ原に創建された天台宗の古刹で、村松山峨岳寺と称した。慈覚大師を開基とし台密を伝えたが、寛弘八年(一〇一一)山津浪で崩壊してから現在地へ遷った。 改宗
 鎌倉時代の文永九年(一二七二)に日蓮聖人の弟子、中老僧日位上人が当地を弘教し、当時の寺主慈証尊者の代に改宗し 法号を日受と改め 海上寺と改めたが 徳川期に現在の海長寺に再度改名され現在に至ります



扁額は

龍水山と記されてます





当時の寺領は4万坪もあったそうですが

今は街中のお寺で 民家が写りこまないように撮るの苦労します




海長寺が日蓮宗5000あまりのお寺が有る中で

本山と称される56のお寺の一角に名を連ねる由緒は

日蓮上人直筆の 曼荼羅 を所有してるからでしょうか

この曼荼羅は 宗宝 となってるそうです




本堂です




ここの瓦には 徳川の

葵の紋が記されてます

そま謎は

この後 御主題を頂きに寺務所に行くと

住職が本堂に案内してくれて

こう説明してくれました

海長寺では、葵の御紋を使うことを徳川家康より許されております。これは、家康が武田信玄の残徒今福丹波守(いまふくたんばのかみ)の襲撃から逃げ、海長寺の椿の群生に隠れたことに起因しております。海長寺の住職によって難を逃れた家康が六石の椿の御朱印と葵の御紋の使用許可を得たそうであります




頂いた 御主題 です




富士の実相寺にも大きなソテツが

有りましたが

ここ海長寺にも大ソテツが大きく根を張っていました

気候の関係でしょうか

よく目にします


静岡は千葉と同様に

日蓮宗本山が多く集まっています

この後

静岡県葵区、駿河区と

2つの本山を巡る為

カ-ナビに住所を登録して

車を走らせます


カ-ナビが無いと

短時間で

巡る事は無理ですから

有りがたい時代になりましたね