昨日は東日本大震災から9年の3.11でしたね

市の行政無線で地震発生時間に1分間の黙禱の放送が流れました

会社で作業中でしたが黙禱をしました

いまでもあの時の記憶が昨日のことのように思いだします

当地も震度5強の強震に見舞われ、電線が波打って首都圏直下の大地震かと

思うほどでした。 その後は三陸の大津波と福島の原発被害で大混乱しました

そして多くの方々が被災してお亡くなりになられました

改めて、心よりお見舞いとご冥福をお祈り致します。


さて今日の記事、昨年5月で中断してた日蓮宗本山巡りを久々にしてきました

60歳を過ぎてから 板東三十三か所札所巡りを結願して、次の目標を考えていた時

我が家の菩提寺が日蓮宗のお寺なので 日蓮宗本山めぐり を思い立ちました 日蓮宗の祖山は

山梨県身延の久遠寺でその下に大本山と呼ばれる霊跡寺院が14ケ所、さらにその下に

本山と呼ばれる由緒寺院が42ケ所あります。さらにその下に一般のお寺が全国に5100ほどあります

日蓮上人が千葉で生まれて鎌倉で立宗して山梨の身延山を祖山とした事から

千葉、神奈川、山梨、静岡、京都、新潟辺りに本山が多くあります。現在57本山の内

近場の33本山を巡りましたが、これからは遠方にある本山がほとんどでどうするか思案中です


今日の記事は33番目に訪れた栃木県佐野市にある由緒寺院で本山の 開本山 妙顕寺の記事になります



日光に通じる例幣使街道沿いの栃木県佐野市に

開本山 妙顕寺はありました





永仁2年(1294年)に開創した寺。

天目上人(美濃阿闍梨)が下野安蘇郡奈良渕村で布教していたとき、唐沢城主の佐野家及び家臣の

若田部源五郎光盛が帰依して一宇を建立、天目上人を開山に仰いだのが妙顕寺の始まりと言われています。
永享4年(1423年)6月、ときの将軍足利義教より寺領三百石を寄進され、永正4年(1507年)佐野家の祈願所となった。天正2年(1574年)に火災に遭い全山を消失。慶長7年(1602年)には唐沢城の春日山移築にともない、その鬼門除けとして移築、現在地に移った。(パンフレットより抜粋)




1794年の火災で残った唯一の鐘楼だそうです



境内には小さな堂宇が立ち並び

この堂宇は鬼子母神を祭った 鬼子母尊神堂










本堂です






狛犬です








本堂にお詣りをして

御主題を頂きます



頂いた御主題です

御主題とは日蓮宗の題目の事で

南無妙法蓮華経

と書かれた

お題目の事で

御主題を頂くには 御朱印や他宗の御朱印が書かれた

御朱印帳には

書いてくれません


この文字の書き方を

ひげ文字と呼びます。一つの文字がヒゲが出たように長く伸ばして書く独特の書き方です





足利学校から移動して

お詣りを済ませ

御主題を頂いたので

時間も12時を過ぎてます

お腹もすいたので

目的の一つ

佐野ラ-メンを食べに行くことにしました

ナビで検索すると

このお寺の近くに目的の

ラ-メン屋さんがあるので

ここの駐車場に

車を置かせていただき

ラ-メンを食べに行きました

次の記事に続きます