日向薬師Last [神社仏閣]
日向薬師の記事続いてますが
昨日(18日)会社帰りに 日向の棚田と彼岸花リベンジしてきました
1週間前は咲き始め出したが
綺麗に咲きそろって 棚田の畔を赤く染めていました
夕方行ったんですが久々に夢中になれました
今週一杯見ごろが続きそうです
さて今日の記事日向薬師Lastです
日向薬師(ひなたやくし)は、神奈川県伊勢原市日向(ひなた)にある仏教寺院である。本尊は薬師三尊。現在の宗派は高野山真言宗。かつては日向山霊山寺(ひなたさんりょうぜんじ)と称し、子院12坊を擁する大寺院であったが、廃仏毀釈で多くの堂舎が失われ、現在は霊山寺の別当坊であった宝城坊(ほうじょうぼう)が寺籍を継いでいる。
寺号は廃仏毀釈以前は「霊山寺」、以後は「宝城坊」と称するが、中世以来薬師如来の霊場として信仰を集めていることから、「日向薬師」(ひなたやくし)の名で親しまれている
急な石段を登り切ると
正面に 茅葺の本堂が現れます
2011年から5年かけて平成の大修理が行われ綺麗になりました
境内には芙蓉が咲いてました
かつて日向山奥の院に祀られていたが、後に境内の、幹が空洞になった霊樹の中へと移された
虚空蔵菩薩像
日向薬師Part1 [神社仏閣]
今日は敬老の日でお休みです
昨日の日曜日、自治会主催の敬老会を行いました
地元写真家の地域で撮った写真を元に自然や文化の話に
出席者は僕も含め引き込まれました
普通の写真なんですが上手にスト-リ-が作られてねんですね勉強になりました
そのあと、ハ-モニカのアンサンブルで童謡や懐メロを合唱して
盛り上がりました
昼食は自治会が用意したお弁当を食べながら歓談
人生100歳時代に突入してまだこれから一花咲かせようと活き高らかでしたなりましたよ
さて今日の記事 先日訪れた日向薬師のPart1です
日向薬師は奈良時代初頭の霊亀2年(西暦716年)に、僧行基により開山されました。
僧行基が熊野を旅していた際、薬師如来のお告げにより、相模国のこの地(現在の神奈川県伊勢原市)に、日向山 霊山寺(ひなたさん りょうぜんじ)を開山した、と伝えられています
僧行基が熊野を旅していた際、薬師如来のお告げにより、相模国のこの地(現在の神奈川県伊勢原市)に、日向山 霊山寺(ひなたさん りょうぜんじ)を開山した、と伝えられています
参道には ハギが咲いてました
青龍山 本覚寺 [神社仏閣]
昨日は 30℃前後と凌ぎ易い一日でした
今日は30℃に届かない予報ですので一段と過ごし易い一日になりそうです
さて今日の記事 神社仏閣記事になります
静岡市駿河区池田にある
日蓮宗本山 青龍山本覚寺です
日蓮大聖人の直弟子、中老僧・治部公少輔阿闍梨・日位上人の開山で
もとを尋ねれば、かつて真言宗の古刹であったといわれております。
入り口の門の左右は 白壁が長く続いてます
入り口の門をくぐると本堂に一直線の参道が現れます
以前は寺内に8坊を数えるほど隆盛を極めたようですが
明治の初めに火災で本堂と本仏堂以外の殆どの伽藍が焼失し
再建され現在に至ってるそうです
本覚寺の小路と名付けられた散策路が
参道の横に作られてます
本堂への途中にある鐘楼堂
明治41年に再建されたそうです
一段高い位置に
火災を免れた本堂が見えてきました
こじんまりとした本堂が
静けさの中に佇んでます
文政元年(1818年)に建て替え
本覚寺で最も古い堂宇で
元亨元年(1321年)に建てられた建物のようです
貞松山 蓮永寺 [神社仏閣]
今日の記事 静岡市葵区にある 日蓮宗本山 貞松山(ていしょうざん)蓮永寺(れんえいじ)になります
日持上人が開創した日蓮宗のお寺で、徳川家康の側室で水戸光圀の祖母である、お万の方供養塔があります。お万の方は、徳川家康が没すると出家して養珠院を名乗り、蓮永寺に位牌を安置して弔いました
このお寺も徳川ゆかりのお寺なんですね
このお寺
後から判ったんですが 駿府城公園の近くにあったんですね
解っていたら 駿府城を見たかったです
北街道と呼ばれる県道67号線の道路際に入り口がありました
本堂には
蓮永精舎の額が掲げられてます
精舎=出家修行者がとどまって修行する堂舎のこと。寺院の意に用いられる場合もある
昔の学問所、今の大学に当る場所だったようです
お万の方供養塔
お万の方→ 家康が亡くなると出家して養珠院(ようじゅいん)は、徳川家康の側室。紀州徳川家の家祖徳川頼信、および水戸徳川家の家祖徳川頼房の母。名は万(まん)。
- 1569年(永禄12年) - 兵火に罹り伽藍を焼失し荒廃する。
- 1615年(元和元年) - 養珠院は大檀那となり、日乾が伽藍を再建する。この時駿河沓谷(くつのや)に移転し、蓮永寺と改称する お万の方=養珠院は法華宗(のちの日蓮宗)の信者だった
龍水山 海長寺 [神社仏閣]
昨日13日は 迎え火で御先祖様が
道に迷わず我が家に戻れるよう、迎え火を
焚いて目印にする風習があり
我が家も 女房が仕事からもどってから
長男家族と一緒に迎え火を焚き御先祖様をお迎えしました。
今日は菩提寺の住職がお経を上げに来てくれますが
事前に手紙で 14日 10時~11時半頃に伺います
とはがきが来てます。
坊さんも檀家回りが佳境でまさに分キザミなんですね。
さて今日も神社仏閣の記事になります
富士市の実相寺から 国道1号線経由で 現在は静岡市清水区に
なっている 清水の 海長寺を訪れました
ここ清水は サッカ--の清水エスパルスと 清水に本社がある
大手物流企業の 鈴与 一色の感がある街で活気を感じました
平安朝の仁寿二年(西暦八五二)有渡山八ツ原に創建された天台宗の古刹で、村松山峨岳寺と称した。慈覚大師を開基とし台密を伝えたが、寛弘八年(一〇一一)山津浪で崩壊してから現在地へ遷った。 改宗
鎌倉時代の文永九年(一二七二)に日蓮聖人の弟子、中老僧日位上人が当地を弘教し、当時の寺主慈証尊者の代に改宗し 法号を日受と改め 海上寺と改めたが 徳川期に現在の海長寺に再度改名され現在に至ります
鎌倉時代の文永九年(一二七二)に日蓮聖人の弟子、中老僧日位上人が当地を弘教し、当時の寺主慈証尊者の代に改宗し 法号を日受と改め 海上寺と改めたが 徳川期に現在の海長寺に再度改名され現在に至ります
扁額は
龍水山と記されてます
当時の寺領は4万坪もあったそうですが
今は街中のお寺で 民家が写りこまないように撮るの苦労します
海長寺が日蓮宗5000あまりのお寺が有る中で
本山と称される56のお寺の一角に名を連ねる由緒は
日蓮上人直筆の 曼荼羅 を所有してるからでしょうか
この曼荼羅は 宗宝 となってるそうです
本堂です
ここの瓦には 徳川の
葵の紋が記されてます
そま謎は
この後 御主題を頂きに寺務所に行くと
住職が本堂に案内してくれて
こう説明してくれました
海長寺では、葵の御紋を使うことを徳川家康より許されております。これは、家康が武田信玄の残徒今福丹波守(いまふくたんばのかみ)の襲撃から逃げ、海長寺の椿の群生に隠れたことに起因しております。海長寺の住職によって難を逃れた家康が六石の椿の御朱印と葵の御紋の使用許可を得たそうであります
岩本山 実相寺 [神社仏閣]
お盆に入り 久々のお寺記事です
天台宗の知印法印は三間四面の堂を建立し、如意輪観音を安置して
実相寺と号し、鳥羽法皇の護願寺とした
円珍が唐より招来した、一切経を袼護する、天台宗の古刹であったという
日蓮が訪れ、経蔵の一切経を閲読し、立正安国論を薯したお寺で゛ある
その後多くの学徒が日蓮に師事し
1276年(建治2年)学頭 智海法印によ日蓮宗に改宗し 智海法印は日源と改名する
岩本山 実相寺として 日蓮宗霊跡本山として今に続く
朝7時に東名高速に乗って 富士川SAスマートICを目指します
それなりに混んでましたが渋滞は無く快適なドライブ日和でした
9時頃に 実相寺の山門前に到着しました
長い石段の上には 質素りと祖師堂佇んでます
祖師堂の裏手に 一切経を納めた 一切経堂があります
急な石段を上り詰めると
小さな堂が、
ここに一切経が収納されてるようです
実相寺を訪れた日蓮は この堂に2年籠り
立正安国論の草庵を書いたのでした
谷中 瑞輪寺 [神社仏閣]
ゴ-ルデンウィ-クも終わって今日から日常にもどります
今年のゴ-ルデンウィ-クは案外良い天気に恵まれました。
最終日の6日は 午前中テニスをして
午後は自治会の仕事をして
夕食は長男家族と外食をして
ゴ-ルデンウィ-クを終えました
今日から仕事ですが、天気が悪そうですね
さて今日の記事 谷中の日蓮宗本山 慈雲山瑞輪寺の記事になります
谷中は 石を投げれば お寺に当る程
寺院が密集してます
一説によると江戸城の鬼門にあたり、上野寛永寺を立てた頃から
お寺が増え始め江戸の大火でお寺が移転してきて今の密集が形成されたそうです
ここ 本山瑞輪寺も 日本橋から神田に火事で移転し
2度目の火災で谷中の現在の地に来たそうです
この瑞輪寺開山は 徳川家康、幼少の頃、学問教育の師だった
日新上人で 開基大壇越は徳川家康で
徳川家康ゆかりのお寺です
山門をくぐると 左手に鐘楼があって
正面に本堂が建ってます
元禄年間
徳川三代将軍 家光の寄進でたてられた
鐘楼堂です
日蓮宗本山らしく
大きな本堂です
屋根瓦には 三つ葉葵の徳川の紋所と
ハスに井桁は日蓮宗の宗紋が並んでいて
徳川のお寺を象徴してますね
彫り物も立派です
本堂の右手には祖師堂が建ってます
ここは厄除けと安産祈願で御利益があるそうです
堀之内妙法寺 [神社仏閣]
5月に入って 1日、2日とカレンダ-どおり会社に出勤しました。
きょう3日から6日までゴールデンウィ-ク後半です。
車は大渋滞しますからお出掛けは控えて テニス三昧の予定です。
さて今日の記事 日蓮宗本山巡りで 杉並区の堀之内妙法寺の記事になります
新宿から 東京メトロ丸の内線で 新高円寺から歩いて10分程ですが
初めてスマホの地図アプリでル-ト案内を聞きながら
何とか辿りつきました
環七通りにの 妙法寺 入り口につきました
入り口から 狭い路地に入ると 妙法寺の仁王門があります
この仁王門の仁王は左右には徳川四代将軍「家綱公」が寄進したとされる金剛力士像(仁王様)が安置されてるそうです。
下調べが不十分で写真に収める事が出来ませんでした。
日蓮宗本山やくよけ祖師「堀之内妙法寺」(東京都杉並区)は、徳川家所縁の寺院で江戸時代から厄除けの参詣者で賑わいました
境内は都会のど真ん中に広大な寺領を有してます
仁王門をくぐると妙法寺の中心となる祖師堂で、正面の御簾の奥には、霊験あらたかなお祖師さまである「祖師御尊像」が奉安されています。そのパワーは強く、妙法寺の境内に入るだけでも厄除けになるともいわれています
祖師堂の正面には「感應法閣」(かんのうほうかく)と書かれた扁額がかかっていますが、感應法閣とは、おそっさまの胎内という意味で、お参りをするだけでもおそっさまと縁を結び、厄が払われるということです。 この祖師堂で御主題を頂きました。
内部は撮影禁止で写真は撮れません
内部を見学してると 参拝者が内陣で御祈祷をしてて
運よく ご本尊を拝む事ができました
頂いた 御主題です
祖師堂の北東奥にあるのが三軌堂と呼ばれる「本堂」です
もみじの青葉とコラボりました
小松原山 鏡忍寺 千葉県鴨川市 [神社仏閣]
ゴ-ルデンウィ-クも前半のLastの3日目ですね。
皆さん楽しいゴ-ルデンウィ-クをお過ごしでしょうか
僕は初日は 神社仏閣巡りを絡めて谷根千散歩をしました。
昨日は 午前中テニスして午後は写真の整理をしました。
そうそう 谷根千散歩ではグ-グルマップでル-ト案内やら移動中は音楽を聴いてたんですが
スマホのバッテリ-100%から25%まで消費し帰りは電車内で音楽を聴くのをやめました。
帰ってきてからモバイルバッテリ-amazonで購入しました。今日届きます
一日使いぱなしだと途中でチャ-ジしたいですね。
そうそう 来年のラグビ-ワ-ルドカップの 日本VSスコットランドのチケット予約してた結果の
メ-ルがきました。 抽選に外れました~
あと1回チャンスありますがまず無理でしょう パブリックビュ-イングでガマンかな
さて今日の記事 久々の神社仏閣の記事になります
千葉県鴨川市にある 日蓮宗霊跡寺院 小松原山鏡忍寺(きょうにんじ)
日蓮聖人四大法難の一つ、小松原法難の霊場であります。
文永元年(1264)11月11日この地で地頭東条景信等に襲撃され弟子の鏡忍坊と信者の工藤吉隆公が殉死、日蓮聖人も腕を折られ頭部に刀傷を負ったのでした。後に日蓮聖人は2人の菩提を弔うため日隆上人(工藤吉隆公の遺子)に命を下し開創されたのが当山の始まりでございます(Hpより)
文永元年(1264)11月11日この地で地頭東条景信等に襲撃され弟子の鏡忍坊と信者の工藤吉隆公が殉死、日蓮聖人も腕を折られ頭部に刀傷を負ったのでした。後に日蓮聖人は2人の菩提を弔うため日隆上人(工藤吉隆公の遺子)に命を下し開創されたのが当山の始まりでございます(Hpより)
山門です
江戸期に活躍した地元鴨川出身の彫り物大工「波の伊八」作の七福神の彫刻や明治の俳人「正岡子規」がこの地を訪れて詠んだ句碑などもあるそうです。
山門をくぐると 立派な仁王門が現れます
仁王門をくぐると左手の高まった場所に
鐘楼がみえます
鬼子母神が降臨されたと伝わる「降神の槙」は樹齢が千数百年といわれております
訪れた時は 3月30日で
桜が境内を彩っていました
仁王門をくぐって右手に 祖師堂があります
仁王門から直進すると 本堂があります
ここでお参りを済ませます
寺務所で御主題を頂きます
鯛の浦と小湊誕生寺 [神社仏閣]
暑い日が続いてます。 昨日は仕事は半袖で仕事をしてる人も見受けました。 今日はさらに暑くなりそうですから僕も半袖の仕事用ポロシャツを持って行くつもりです。 4月の初旬ですからね~毎年、春が短くなって夏が長くなってるように感じますね。 地球温暖化を実感できるようになってきましたね。
さて今日の記事 旅行の2日目に 鴨川市小湊の鯛の浦の遊覧船に乗船しました。 2年前に誕生寺を訪れた時は海が荒れてて観光船が運休してたので今回はどおしても乗ってみたかったので旅行予定に組み入れてました。
漁港の有料駐車場に車を停めました
駐車場の横に 鯛の浦観光船の発着場があります
観光船の乗船キップを購入しました
乗船まで時間が有ったので 発着場の2Fに鯛の浦の歴史を解説した
展示スペ-スがあったので見学しました。
鯛の浦遊覧船は、鯛見物のため遊覧船が運行されており、船縁を叩くと群がる鯛の神秘的な様子を見ることができます。鯛の浦に群棲する鯛は、日蓮聖人の化身として土地の人々の尊信を受け700年以上の間禁漁が守られてきました。そのため弁天島周辺は世界有数の鯛の生息地として国の天然記念物に指定されています(千葉県公式観光サイトより抜粋、写真もお借りしました)
鯛の浦の目の前
日蓮上人が産まれた場所に 日蓮宗の大本山 小湊山誕生寺があります
日蓮上人はこの小さな漁村で生まれ 口減らしでお寺に預けられ
仏門に入ったそうです
日蓮聖人は幼名を善日麿といい12歳までこの地で暮らした。文永元年(1264)聖人は母梅菊の病を祈願し蘇生させる。延命した母梅菊はそれを記念し、「菩薩荘厳堂」を創建。その後直弟子日家上人が建治2年(1276)10月、聖人生家跡に一宇を建立し高光山日蓮誕生寺と称したのが当山の始まりである(誕生寺Hpより抜粋)
入り口の 総門から仁王門まで石灯籠が両側に並んでます
大きな仁王門です
仁王門をくぐり 祖師堂に続く両側にも石灯籠が続きます
祖師堂は 屋根瓦の葺き替え中で建物全体が覆われていて見る事は出来ませんでした
お参りした証に
御主題を頂きました
祖師堂から仁王門を撮ってます
この辺りも気候温暖なんでしょうね
南国の ヤシの木が植えられてました
この後食事でもと思っていたんですが
ホテルの朝食で
欲張って食べすぎたので
昼なのにお腹が空きません
取りあえずお腹が空いたら食べる事にして
小湊を後にして
小湊鉄道の桜の名所?
飯給駅を目指して車を走らせます
今日はここまでです
後に続きます