大山詣で [神社仏閣]
大山詣でとは
平地から見ても存在感のある大山は、古代から信仰の対象となり、「大山詣り」として、江戸の人口が100万人の時代に、年間20万人もの参拝者が訪れたと言われています。別名「雨降山」とも呼ばれる大山は、雨乞いや五穀豊穣の祈願だけでなく、商売繁盛にも御利益があり、また、帰りがけに江の島、鎌倉などの観光地に立ち寄っても江戸から5日程度。レジャーも兼ねて気軽に出かけられたことが、粋で遊び上手な江戸っ子たちの心を捉えたのでしょう。「大山詣り」の参拝者の多くは「講」と呼ばれる町内会や同業者組合による団体で、皆で費用を積み立て、お参りツアーとして「大山詣り」に出かけていたのです。その風習は現代まで引き継がれており、春先から夏にかけて多くの講が参拝に訪れ、行衣という白装束を纏った方々が参道を登る姿は江戸の風景を想起させます。講をお迎えする宿坊の主人は、「先導師」と呼ばれ、先祖から代々引き継がれています。今では個室を備えた宿坊も増えており、一般のお客様も安心して泊まることができます(日本遺産hpより抜粋)
という事で今日の記事は大山詣でになります
車は大山バス停の第二駐車場は満車の時が多いので300mほど下の第一駐車場に止めました
大山は 豆腐料理 が名物です
江戸時代から食べられてたんでしょうね
こんな古風なお店が何軒か目に留まります
酒屋さんの売店もありますね
大山詣では江戸時代から庶民の信仰の山でしたから
写真の右手のお堂の前には滝があってその滝で身を清めて山に登ったそうです
明治の初期まではこの先は女人禁制のお山だったそうな
訪れた時は木々も色づいていました
先導師旅館の門構え
大山は関東を中心に庶民信仰の拠点として栄え、参拝に訪れる多くの庶民は「大山講」を形成し、集団での大山参詣を行っていた。こうした大山講の参拝客は、定宿である先導師旅館(宿坊)に宿泊し、参拝を行っていたそうです、今でも先導師旅館を見る事ができますね
雨も上がって
雲の切れ間が見えて来ました
隊列を組んだ講中は、「散華、散華、六根清浄、散華だ、散華だ、六根清浄、お山は晴天、六根清浄」などと掛念仏を唱えながら金剛杖を突きながらこの道を歩いたんですね
ケ-ブルカ-の大山駅に続く
こま参道までのぼってきました
ここから先は両側に土産物屋や食事が出来るお店が続く細い参道になります
江戸時代は左の川沿いの道を歩んだんでしょうね
参道には一丁目毎に
コマの数が増える敷石があります
参道のお店では
大山コマが売られてました
子供の頃何処でも売っててよく遊びました
今ではここに来ないと売ってませんね
このサイズで2000円オ-バ-でした
昔はすごく安かった記憶がありますが...
ここから大山寺を経由して阿夫利神社まで
1~2時間
阿夫利神社から大山山頂まで2時間ほどかかります